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桜は咲く前にひりりと胸をざわつかせる。 蕾が腫れ物のように危うげだ。 と、そう思ったその瞬間に、シャッターを押しました。 5月になると、やっと春になったと思います。 鈍いです。 以前、「5月といったら、もう初夏じゃない」と笑われました。 わたしは鈍感なのです。 「鈍感季節アンテナ内蔵人間」です。 そして新年度が始まって、ようやく2008年になったと思えます。 これも鈍いと指摘されそうです。 でもこの感覚は、学生病というか、学校暦病というか。 鈍感な感性と学校のリズムが共犯関係になった結果、わたしはズレています。 今年の初めに印象に残ったニュースは、美術館に関するものでした。 国立西洋美術館、世界遺産に推薦決定 国立西洋美術館は、少し迷路のような構造に思えます。 惑わされてしまうけれど心地良いと思えて、気に入っています。 2008年1月3日に一人で出かけたブリヂストン美術館も、居心地が良かったです。 東京駅から徒歩5分のところにあり、わたしの自宅から 30分かからないで到着するので、わりと出掛けるようになりました。 ひとりぼっちのお正月は4年振りで、しんみりしました。 時を刻む静寂が、耳のそばでしんしんと鳴るのに気づきました。 音ともいえないその響きを、やけに大きく感じました。 これまで無我夢中で走って聴かないようにしていた静寂に、復讐されているような気分でした。 復讐というよりも、「勇気のなさ」を責められているようだという方が正確かもしれない。 モネの、「黄昏ベネツィア」という絵の前で、ぼーっと座っていました。 そのまま2時間でも、ぼーっとしていられると思いました。 その色彩の虜になったのです。 世界が全部、滲む。短い間だけ。 滲む世界も、止まらない自殺の続く世界も。 暴力の前では、すべては無力に見える。 正義とか、倫理とか、もちろんなくてはならないのだけれども、 もっと縁の下の力持ちで、この世界を支えている気持ちがありそうで。 それに名前を与えて、概念にしてしまうと、その途端に嘘っぽくなりそうでためらう。 想像力は、勇気や寂しさに左右されて、常にパワー全開で働いてもくれないし一定した能力ではない。 人間は、機械ではないですしね。 (そもそもパワー全開な想像力というのを、客観的に定義するのは難しい。能力は、メーターのように数値化できない。) 想像力が不完全だと思い知って、快楽だけを貪ろうとする誘惑の窓を閉めて、 選びうるものから、選ぶべきと内側からだましようもなく思うものを選んでいけたなら、 そしてその選択を応援してくれる誰かがそばにいてくれたなら。 いいよねぇと思う。 最近、おそらく人生相談といえるのだろう悩みを聞くことがあり、 相手とは長年の付き合いであったので、きつい言い方ですが「まず、そういうことを考える人格を殺せ」 と、全く相談甲斐のない見解を述べたのです。それからふとした時に 「相談」という場における、経験や感情の伝達可能性について思い巡らして、 上記のようなことをぐるぐる思ったのです。 |
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一枚の大きな布が風にはためいている・・・「5月」はそんなイメージです。 |
natsukusa 2008/05/03 12:17 |
蛇足です。 |
natsukusa 2008/05/05 12:48 |
natsukusaさんと同じく、わたしも5月生まれなんですよ。 |
柊 2008/05/11 09:19 |
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